幸田露伴「趣味」by鳥羽先生

  • 2019.04.22 Monday
  • 17:28

今日のサプライズ
ひょっこりはん

なぜにここに
「イヌノフグリ」が一輪



可愛い^_^

早速花言葉を調べてみると
「信頼」「女性の誠実」
だそうです

名前は意味深ですが(*≧∀≦*)
素敵な言葉ですね(o^^o)


さて
昨日のブログで
お伝えしていた
幸田露伴の「趣味」です

私はこの本は読んだ事がなく
先日ご紹介した
唐人町の「とらきつね」の
鳥羽先生著
「親子の手帖」の最後に
記されていて知りました

「親子の手帖」本文は
前にも書きましたが
現代の親子が抱えている心の葛藤を
たくさんの事例から
先生のお考えを挟みながら
子どもの心
親の心に寄り添って
下さっています
どの事例も共感させて頂きました

何が大切なのかを
今一度振り返り考える機会を
与えて下さる
貴重な本です

幸田露伴の「趣味」を
鳥羽先生の言葉で
読みやすいように
書いて下さっているのですが

最後に
これを紹介して下さっている事で
鳥羽先生が何を大切にしながら
親子と接して下さっているのか
何を一番伝えたいと思いながら
執筆されたのか

ここに全てがある気がした
文章で
より感銘を受けました

知り合いで
この本を読まれた方も
同じ事を言われていました

ちょっと長いのですが
そのまま転載させて頂きます

ゆっくり読んで頂けたらと
思いますm(_ _)m


趣味というのは、人の思考のことであり、または見識であり、思想であり、気品であり、心のことであります。
心は、卑しいところを改め、善い方へと正していくべきものでしょうし、気品は清く高くあるべきでしょう。
思想は汚れることがなく下品でもないことが求められますし、見識は卑しいところがないことが必要でしょう。
嗜好には行き過ぎのないけじめがほしいものですし、趣味がひどく軽薄なのは残念なことです。
ですから、自らの手で土壌を作り、自らの手で養い、自らの手で育て上げ、その結果、自分自身の中に自然に生じた心の色が花のように咲き出でた趣味こそを、私たちは特に栄えさせねばなりません。

目の覚めるような華やかなものを好む人がいます。心が引き締まるようなものを喜ぶ人がいます。淡白なものを好む人がいれば、濃厚なものを愛おしく思う人もいます。艶やかな美しさを愛する人がいるかと思えば、渋く古びたものを欲しがる人もいます。このように、人の趣味というのは、ちょうど人の顔の形や人の声色がそれぞれに異なっているように、千差万別です。
ですから、自分の基準で他人を正してはなりませんし、逆に、いたずらに他人の真似をして自分を捻じ曲げようとしても、結局のところ難しくて上手くはいかないでしょう
なぜなら、趣味というのは、人々それぞれに宿る心の花から出た自然の色だからです。その花を染めて元とは異なる色を作り、その花を洗い流して元の花の色にはない別の色に染めたとしても、本当にそれに何の甲斐があるというのでしょうか。
それぞれの人の上に咲く花は、根気強く土壌を作り、丁寧に養い育て、充分に成長させて、その結果として自然に表出した色を、春や秋の空の下に、心ゆくまで豊かに解き放って、自由に美しく伸ばしてあげなければなりません。
人の趣味は、このように、土壌を作り、養い、充分に育て上げることでできあがった、その自然にもとづいた趣味の香りを、ゆったりと世の中に広げ香らせるべきものなのでしょう。

自らに不足があることを知るのは、満足に至るための道です。そして、至らないことを知るのは、高みを目指すための道です。だから、自分の趣味が不十分であることを知って、なおも至らないということを悟る人は幸せです。
その人の趣味は、まさにいまも次第に成長し、次第に進歩しようとしているのですから。自分の趣味が幼稚であることを反省もしないで、自分が良いと思うものばかりをいつも良いと思って、自分の興味深いものばかりをいつも興味深いことと考え、高みを目指そうとせず、卑しいところを改めようとしない人には幸いはありません。
その人の心の花はすでに石となり、生命を失ってしまっているからです。

髪飾りはいつも黄金がいいと言ったり、着物はいつでも絹がいいと言ったりするのは、欲望というものであり、それは趣味ではありません。
欲望は自分を縛り、そこに自由はありません。趣味は自分を縛ることをせず、自由があります。
もし、趣味が低くて欲望が強ければ、自分が欲しいものが手に入らないと、その苦悩は際限のないものとなります。
一方で、趣味が高くて欲望が薄いなら、仮に自分の欲しいものが手に入らなくても、それとは別のふさわしい楽しみを、一つや二つどころではなく見つけることができるでしょう。
ちっぽけな野菊の花を髪飾りにしても、香りの消えた山吹の花を髪飾りにしても、薔薇の一輪が白く膨らんでいるのを髪飾りにしても、梅もどきのいくつかの実の赤いものを髪飾りにしても、その人の趣味から見たとき「良い」とするものであれば、たとえ木や竹の切れ端を髪飾りにしても、そこに満足や喜びがあるに違いありません。
時と所におうじて、どんなときも、どんな場所でも、喜びの気持ちを見出すことができるのは、趣味の効用です。
欲しいものが得られないと苦しみ、遂げたい願いが遂げられなければ悩み、そのように、自分の心を、自分の外にある物に支配されてしまうようになるのは、欲望がそうさせるのです。
欲望は人を苦しめ、趣味は人を生かします。だから、趣味の豊かな人というのはなんと幸せでしょうか。

自分に何か得るところがあっても、他人にそれを期待しない、これを徳といいます。自分の心に楽しむことであって、物事に煩わされることがない、これを趣味といいます。
どんなときでも、どうにか十分な趣味さえ持っていたら、荒れ果てた寂しく寒々しい境遇であっても、その趣味によって楽しむことができるでしょう。
だから、培わなければなりません、養わなければなりません、そして、育て上げなければなりません、人の趣味性を。
鳥羽和久著「親子の手帖」より

最後まで読んで下さって
ありがとうございました!^_^
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